上色見熊野座神社

お久しぶりです。

ココアくんも元気です。

もう12歳になりました。

 

そして今日は 阿蘇にある「上色見熊野座神社」に娘と行ってきました。

森林の中にある、なが~い なが~い階段を上ってゆきます。

両脇には灯籠。

足場があまり良くなく サンダルで来たことを後悔。

それでも何とか神社にたどり着き 参拝!

ふと上の方を見ると 石でできた壁に大きな穴?

後で調べてみたら「穿戸岩(うげといわ)」というのだそうです。

パワースポットという噂も…。

www.google.co.jp

ところで 明日は台風が来るらしいです。

何事も無く通り過ぎて欲しい。

コロナ経験

先週水曜日に食べた「熊本 ザクザクビスケットばい&チョコレート フラペチーノ」

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おいしゅうございました。

47都道府県のシリーズ全部食べたいです。

この日は借りていたビデオを返しに行ったのですが レンタル部門が8月には終了とのこと。

残念でたまりません。

 

そしてもう5月のことになりますが、我が家にコロナがやって来ました。

まずは亭主の咳が止まらなかったのでPCR検査。

娘は軽い風邪症状だったのですが 大事をとって学校を休ませ家でダラダラしているところへ「亭主陽性」の検査結果が。

それから欠席と欠勤、濃厚接触者になりそうな人にも連絡をして保健所からの指示待ち。

その後 保健所から電話が来て、

「そちらのご主人は重症化しそうなので入院してください。」

とのこと。

保健所のHPに入院の準備について書いてあるとのことで教えてもらい、亭主は家庭内隔離との指導。

保健所からは酸素飽和度を測るパルスオキシメーターが届けられてました。

で、それで測ってみると正常範囲は99~97なのに 亭主94しかない。

「明日まで持つの?」とか「急変したらどうするの?」とか考えると家庭内隔離は無理と思い それを伝えると「それではマスクをして換気をよくして…」との指導。

結局夜中に酸素飽和度が90を切り、亭主曰く「90を切ったら呼吸不全だよ。」とかいうので亭主救急搬送しました。

後で聞いたら この辺の記憶がないとの事。

濃厚接触者になってしまってる私は救急車に乗れないので 亭主と昼間そろえた入院道具一式を救急車に乗せて病院へ。

大量の入院道具を救急隊の人に運んでもらいました。

 

そして次の日、心配なので入院先の病院へ電話してみたけど 当然電話では容態を教えてくれるはずもないので 荷物の中に携帯を入れて置いたことを亭主に伝えてくれるよう頼みました。

そしてしばらくたってからだったかな?亭主から電話があり 何とか無事に過ごしているようでホッとしました。

それからはひたすら軟禁の日々。

外に出るのは食料品を買うために 近所のスーパーに行くのみ。

レジはセルフ利用。

濃厚接触者なので2~3日してから 娘と私もPCR検査。

検査結果は娘が陽性で 私が陰性でした。

娘は陽性だったけど 症状が軽いので自宅療養。

そんなこんなで1週間ほどで亭主は退院して、娘も「感染力が無くなった。」として隔離解除できたのに、私だけ自宅待機が2週間。

家にいても何もする気が起きず アニメを見ていることが多かったのですが 疲れました。

 

今回 大活躍したパルスオキシメーター。

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 ネットで調べてみたら 購入できそうな値段だったので買ってしまいました。

使い方は指に挟むだけなので超簡単です。

新阿蘇大橋

 お久しぶりです。

なかなかブログ訪問ができないのでついついサボりがちになっていたのですが 書き留めておきたいことを少しづつアップすることにしました。

先日の土曜日には ずっと気にかかっていた実家の仏壇をお寺に引き取ってもらう為 阿蘇に行ってきました。

今までは俵山トンネルを抜けたり 長陽大橋を渡ったりしていたのですが 阿蘇大橋が開通したとのことで地震前のルート復活です。

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驚いたことに展望所があって観光客?のみなさんがたくさん!

車のナンバーを見ると隣県のナンバー。

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緑の山々と清水の谷間。

でも向かい側の崖には地震の爪痕。

その右方向には崩落した昔の阿蘇大橋があったはず。

しぜんの豊かさと怖さが同居している空間だとおもいました。

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「雨は蕭々(しょうしょう)と降っている。」*1

こちらは、

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アルバムの中から見つけた昔の阿蘇大橋。

低くて赤い手すりがついていることから地元では「赤橋」の名前で呼ばれてました。

でも 自殺する人が多かったらしく、手すりが高くなり赤い色*2が塗り替えられました。

 熊本城もだけど阿蘇大橋崩落のショックは大きかったです。

 

この日「自分の代で何とかしなければ。」と思っていた仏壇をお寺に引き受けてもらえたのでホッとしました。

*1:「大阿蘇三好達治より抜粋

*2:赤い色が悪いのだろうという意見があった。

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